2008年11月28日金曜日

夢の話

ここは高校か。
国語の時間のようで、皆まじめに授業を聞いているみたいだ。
私は風邪をひいていて、だるさとくしゃみと戦いながら聞いていた。

多分ずっと前の席の人から当てられていたのだろう。
次は自分の番だ。
教科書を見なくても読める・・・
なぜかそんな自信があったが、実際答えようとするとド忘れしてしまった。
慌てて教科書をめくってみたが、答えになりそうなところはどのページにもなく
何度も何度も読み返し、結局答えられなかった。
「立ってなさい」
先生の声は軽い失望が含まれていた。
すぐ後ろの人が同じ問題で当てられた。
答えられなかった歯がゆさが心を満たした。
くしゃみをした。
意識が一瞬歪み、体の重心が反転したと思ったときには、転倒していた。

「大丈夫?」

「大丈夫です。」
そう答えたかったが、喉は声を出してくれなかった。
代わりにすぐ立つことで大丈夫だと主張した。
でも先生は心配そうにこちらを見ている。
気が付くと、私より左(右は先に当てられた)の人は殆ど立たされていた。
うーん、とうなるよりも早く鼻の頭がむずがゆくなり、何度もくしゃみがでた。

授業終了後、先生と殆どの人が出て行ったが
周りにいた2~3人の人が大丈夫?と声をかけてくれた。



なんていうか、これほど起きた瞬間占うまでもないなと感じた夢はないですね。
ただし、夢占い辞典等にはうまい解釈が見当たらないので我流になりますが。
まさに今の現状そのものです。

きっと、私は何か意味のある仕事をしているのだろう(=問題に答えられる)
と思っていたが教科書(おそらく人生のマニュアル。今の大人が成功してきた解法)
には何も載っていなかった。
私より後ろの席(後の世代か)ならばなおさらそのような教科書には意味がなく
今後も日本社会全体(=国語の授業)として迷走していくんだろうなと思っているんでしょうね。
頑張ろうと踏ん張ったつもりが目に見えて何の役にも立ってない。むしろ悪い結末を迎える
(=転倒)

その中でジタバタもがいてみて体調がより悪化している。
状況が悪いときほど悪あがきしてみる。
結果どうにもなってないという悪癖ですかねこれはもう。

とはいえ、今の時点で「自分とは」なんて語れると思うのはちゃんちゃらおかしいですか。
先立ちの引いた轍の上を歩いてきただけなんですけどね。
経験則だけで語ることができない状況に対応する術それ自体を体得していかないと何にもならんですよ。
殊この失敗の許されない日本社会においてはね。