2007年8月27日月曜日

夏球

 平日の日記更新は無理そうです・・・
生1杯とグラスワイン2杯で倒れるとは。
3時間睡眠って怖いね。
あと、花火見ました。
そっかーもうすぐ8月も終わりなんだね。
スケジュールは気にしてるけど、季節としては全く見てないからねえ。
暑いも寒いもなく、エアコンにコントロールされた室内で仕事してたら。
ところで関東って結構花火大会7月終わり~8月始めに多いんだけど
集中してる理由ってあるのかな?

 従業者とは使い潰されるものだ。
そんな常識がまかり通り、その通り潰されていく人もまた沢山いる。
労働者たちも、そんなに言うとおりになるほど愚かではなく、
自分の身を守る手段を模索し、決定し、実行している。
誰の意識が変わらねばならないのか
言うまでもなく株主、経営者、管理者、従業員
それら全員であることに間違いはないのだが、
誰かがパワーバランスを無視しようとすれば
それ以外の者が自衛の手段を用意するのはむしろ健全なことである。
その事象について、合理性のある必要悪であり、
労使双方に納得がある場合は
やむをえない話ではあるが。

 一番の問題は、その関係が泥沼化し、歪んだ状態が恒常化することにある。
管理者が、従業員に超時間労働を強いることが一般化している今、
誰が従業員の生活を保障するのかという問題は
労働者一人の問題に限らなくなってくる。
一例を挙げよう。
夫、妻、子どものいる家庭で
夫の長時間労働が原因で家庭崩壊の危機にある場合、
誰に問題があるのか。
夫本人の責任か、あるいはそれを許容しない家族まで広がるのか。
そもそも、その家庭だけの問題でなく、一般的に可能性がある話であれば
責任の所在は限りなく肥大化して行く。
つまるところ、皆が平等に悪いのだ。
制度を作って、企業の遵守を見ない行政
制度を平気で破り、売上主義に走る企業
権利を主張せず、言われるがままの個人

 ま、とは言っても皆分かっちゃいても誰も手を付けられないんだけどね。
状況は深刻ではなく、進行は緩やかだから。
そして、気づいたら泥沼になってるんだけど。

2007年8月24日金曜日

We never know what occurred to me tomorrow(ボクラハイマヲイク)

明日起こることの全てがスケジューリングされているのなら
それらのほぼ全てを知る術のない私たちはどれほどちっぽけな存在なのだろう。

今日を奢る者はその根拠をどうやって見つけたのだろうか。
明日生きる糧を求めて這いずる人たちは
何時訪れるとも知れない革命の朝を待ち望むのだろうか。
旅の途中、ふと足を止めて見上げた空の青い事。
その空はとても遠く、澄んでいる。
隠すことを知らない気高さと、清らかな心は今の私たちにはまぶしすぎて
見上げることさえも忘れてしまった。

棚に、新聞のスクラップを集めたノートがあった。
それは去年の4月から始まり、6月末に終わっている。
あの頃なりたかった自分からは、程遠く離れている。
自分の稚拙さ故か、社会の歪みか?
夢は手段か目的か?
人を変えるのに1日は短すぎるし、1年は長すぎる。
こんな絶望の中でさえ、夢だけは昔と変わらない。
後は、覚悟だけだ。

2007年8月23日木曜日

Licht des Rechtes

Das erhält nahe zu der Zeit der Oberflächengrenze,
die die Welt anschließt
und die Welt die Zeit weggeht

A  の発言 :
おもしれーこと書け( ^ω^)

「」 の発言 :
おめーが書け

A  の発言 :
俺は常に面白い

「」 の発言 :
ほう例えば?

A  の発言 :
A  の発言 :
俺は常に面白い

A  の発言 :
おもしれえええええええ

A  の発言 :
( ^ω^)な

「」 の発言 :
さっむー

A  の発言 :
( ^ω^ )

A  の発言 :
A  の発言 :
A  の発言 :
俺は常に面白い
A  の発言 :
おもしれえええええええ
A  の発言 :
( ^ω^)な

A  の発言 :
( ^ω^)な

「」 の発言 :
超・さっむー

A  の発言 :
ドンマイケル

「」 の発言 :
パクりかよ

A  の発言 :
ふふん

A  の発言 :
俺の話題出せよ

「」 の発言 :
出すほどのネタやってねえだろ

A  の発言 :
今日のAがいかにかりちゅまちぇーがあったかをな

A  の発言 :
( ^ω^ )

「」 の発言 :
ほうどんな?

A  の発言 :
さーせん

A  の発言 :
家で暇暇言いながら

A  の発言 :
ゴロゴロしてただけ

世界はこうもみる人によって変わると言う、その一例。

2007年8月22日水曜日

悲壮天

世界に彩が訪れる時間に目覚め、鳥たちが朝の息吹をまだかまだかと待ち望む頃眠りにつく。
赤い世界に一人、灰色の世界に立ち上がる。
やれやれ、今日も目覚めてしまったか。
それは世界との会合点。
人はどこまで強くなれるのか。
どこまでの苦痛ならば耐えられるのか。
世界は今日も人に問う。
生き残る者だけが明日をむさぼる権利を得る。

人は、他人を甘やかしすぎた。
その傾向は更に強まるようだ。
それこそが自分の糧であると誤解する者までいる。
生き残る者が強いのではない。
生き残る要素を備えられたから生きられるのだ。

そのどちらもが正しい答えである、
あるいは間違った答えである。
矛盾?
完全に合理化された人間なんてみたくもないね。
みたこともないけど。

2007年8月21日火曜日

続Train of Thought

気がつけば、いつでもそこに舞い戻る。
体は確かに現実に残している感覚は間違いなくあるのだが。

赤レンガの門をくぐると、そこは手入れのよく行き届いた緑が出迎えてくれる。
ついでに警備員にも挨拶をしようか。
私の夢はいつでもそこから始まり、時は凍りつく。
我に帰ると、自己嫌悪にも似た感覚を思い起こしながら自問自答する。
私にとって、必要な帰る場所のありかとはその土地自体なのか?
あるいは、そこで過ごした日々なのだろうか。
いや、そこに居た人々の残滓が私の中に未だこびり付いているからなのだろう。

私は、夢にまで見た場所に、帰ってきたときに思った。
場所それ自体はなんとも重々しく、現実と言うものを思い知らせてくれる。
人気のないその大きな建物に一人きり
何時も意識の靄の中で光輝くその場所は暗く、私を異邦者として扱う。
ああそうか。
今ここに至ってようやく思いだす。
私は失うのが怖かったのだ。
そこに絆を留めるものがあって欲しいと願っていた。
人も、自然も、建物も、所詮はそれを構成する一つの事象に過ぎない。

結論
思い出を抱いて俺は死ぬ。