2008年6月26日木曜日

Huney Sweet Time

はい、私です。
眠い(寝ろ)

しばらくこっちの日記更新放り投げてましたがー。
其処にRomanはあるのかい?
うるせえ馬鹿。
誰がロマンを語れといった。
きっと誰も彼もが危機として奈落の果てへと突き進むのであろう。
うん、疲れてますね、私。

空を見ていた。
その空は近すぎて今にも落ちてくるんじゃないかと不安になったりもするほどに近く感じられた。
さすがにそれは気のせいだけれども。
例えどれほど意識がにごった状態であっても
その澄み切った青空を見ると少し元気が出た気がする。
かつて西の果てから眺めたあの空とどこかでつながっているはずの青空。
その見上げるまなざしに含まれていたはずの思いは
私は今何を思い、何を為すべきか。

風を切る翼をもがれ
あの時純粋に信じていた社会からは否定され
ある愛を失った。
その時から、物語の主人公は傍観者へと成り果てた。
自らが正義と信じるものは誰かに否定され
いずれは自らそれを忌み嫌うようになる。
決してたゆとわず
いつでも流されず
彼はそれを平静とよび、自らの自戒とする。
何が正義で何が悪なのか?
ただそれを見据え、ぶれることもなく
消して壊さず
黙して動さず
過ぎ行くそれをあるがままに捉える。
彼の闘争はBattle fieldから追い出されたが
いくばくかの関心も持たず
いずれは消え去る宿命と知り
抗うわけでもなく
それが真理であるかのように受け入れる。

生命の営み
そのとても細い糸が紡がれる様
遠目に、慈しむ様に見守る。
それを紡ぐ人々の中に彼の姿はないが
繊細な技巧をもった指は今や見る影もないが
蛮性でもましてや知性でもない
ただそれを見届けたい。
いつしかそれが彼を突き動かす原動力
本能へと取って代わる。

まだ寝てませんよ(A.M.5:40)
だ か ら 寝 ろ っ て

最近弱ってた実家の猫12才が外に出たきり帰ってこなくなったらしい。
食事もできず、かろうじて牛乳なめるだけと母から告げられた
その1週間経たずして。
近所の空き地に捨てられていた
生まれてまだ数ヶ月も経っていない子猫。
小学生の頃の私がその時つれて帰らなければ
天寿を全うすることはなかったのかも知れない。
それが幸せなことかは別問題として。
人間に干渉されるのは好きではなかったが
とはいえ家の居心地は良かったらしい。
昼間は誰にも邪魔をされない物置で昼寝をするのが好きで
夜は人に構われないから遊びに出かけ。
そのうちに実家では、他に何匹か猫を飼うようになり
臆病な性質の彼女はふて腐れて部屋の隅で丸くなっていった。

他の猫たちは概ね人懐っこく、賢い。
中には其れゆえの好奇心が災いし、実家付近に新たに舗装された道路に
早朝車の通りのまばらな車道を歩いているとき
偶然通りかかった車に跳ねられてしまう猫もいた。
その度、私は彼女たちに車の危険を教え、守れなかったことに対する
自分への苛立ち、誰にもぶつけられない言いようのない感情の捌け口のなさから来る
やるせない気持ちに襲われた。

彼女だけは、生まれ持った臆病さから
これまで生きてこれたのだろう。

されど

独り、誰に看取られることもなく土に還る。
その無機質な所作には生物の成れの果てに残った記憶も、感情も、思い出さえも
無視されて、肉塊の一片としてすら地上に留まらない。
「それ」は確かに孤独で、抗いようのないほど冷たく暗い。
いつまでも終わりのないトンネルの中、ただ地球の中心へと引っ張る重力のままに
永遠の時をかけ「そこ」へ向けて落ち続ける。
「それ」の時をむかえる彼女たちは、しかしその瞬間まで自由であり続ける。
社会に縛られ、人間という檻の中に閉じ込められた我々とは違って。
「それ」に対して、人々が抱く感情は様々だ。
やがて訪れることを本能で悟りながら忌み嫌い、避けようと常にもがき続ける者
己の為すべきを理解し、それをやりおえ、感慨と充実とともにそれを迎合する者
あるいは、「それ」こそが甘美な幻想へとたどり着く唯一の道であると考える者

願わくば、その時にも「ああ、くだらない。無味乾燥だ。だからこそ面白い」といえます様に。
私の最期の幻想がそこにあるとするのなら、それはとても孤独で、救いようのないほど寂しいものだから。

0 件のコメント: