2008年12月14日日曜日

幸せのカタチ

たとえば、1家庭内において
立場の最も弱い人あるいは動物が
「満たされている」
と感じるのならば、それは幸福な家庭ということではないだろうか。

人間とは複雑怪奇なもので、
動物の持つ本能における3大欲求が満たされれば
それで万事が解決されるわけではない。
むしろ、それらが満たされてなお足りない、あるいは
「満たされているが故に不幸だ」
(望むものが何もなくなってしまった)
と不公平感が高まっているのが実情なのではないか。

現時点で貧窮している国は別として
いわゆる先進国に生まれている時点で
基本的にはそれら3大欲求に事欠くことはない。
逆なのだ。
欲望とはある程度抑制の効く範囲であれば
文明に寄与する度合いは非常に高い。
3大欲求とはすなわち分かりやすい「目標」であり
達成することが事実上必須要件だからだ。
それらが満たされてしまえば後は各自で目標を探さねばならず
目標が見えない故に挫折し思い悩むようになる。

これはひとつの人間の特徴として
今より更に進化するための試練なのではないだろうか。
「前進することが善」
という認識がどこかしらにあって、
そもそも目指すべきものがないというのは
その人間は進化するに値しないと本能が告げていると考えられないか。

昨日と同じ今日は二度と訪れない。
その認識がなく、進歩しなければどうなるのか。
幾億年と続く地球の中で、進化しないことへの危機感を
人間ほど頭で理解していない生物はいないのかもしれない。
先人の経験を学問へと昇華させる、
歴史をつづることを常に行ってきた人類独自の知恵
(もっとも歴史とは勝者の視点で描かれているものだが)
その裏側には人類滅亡との暗なる戦いがあったのかもしれない。

ま、考えすぎかもしれないけどね。

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