2008年3月13日木曜日

贖罪の徳

そういえば日曜日に柏のドスパラ行ったんです。
知ってるドスパラってどこもアクセスが比較的便利な割に品揃えがマニアックなので好きなんですけど

どうしたんだ柏店・・・
スペースが狭いのはいいとして、商品がすくねえ!
大丈夫か!?

えっと、こんばんは私です。

思い出したときに書くから時系列とか気にしたら負けです。
気分屋で悪かったね。

一昨日の話ですが
S.I.Cの匠魂買ったんですよ。
コンビニの駄菓子コーナーにあったんで、食玩かと思ってやっぱ高えと思いながら。
開けたらこんにちは、2号。
普通にフィギュアだけでした。
なんか下半身と腕が余分についていて、ライディングポーズがとれるんですよ。
サイクロン号ついてませんが。
意味ない、意味ないよこれ。
The First微妙だったなあ・・・
まあ、正義は誰のためか?ってのも難しいですけどね。
自分の大切な一人のためといえば自己満足と呼ばれ
不特定多数(悪の定義は比較的曖昧。世界征服とかなんか悪そうな語感)のためと言えば薄っぺらいと言われ。

私の正義の定義は今も6年前も変わらないものですが。
いわく、「権利を現実の元に履行すること」
結局はそこが原点ということでしょうか。


話は全く変わりますが。

数学の目的は究極のところ問題解決につきるのかなと思った今日。
まあ地頭力を鍛える読みながら思ったことですが。
学生の頃はただ単に公式頭に詰め込んでこの問題はこの公式を使って解くんだとかなんとか。
結局のところ「だから何?」って感じで全く面白くなかったので。
与えられた課題に対して暗記されたこの公式を単純に展開したら解ける
この作業がたまらなく苦痛でした。
テストの時はまあ全部暗記なのでしょうがなくガリガリガリガリノートにこれでもかと書きなぐったものですけどね。

ただまあ、1+1=2が正であることを証明せよとかみたいに問題解決というよりは学術的なこともそれはそれで興味はありますけどね。
今はある意味では数学の公式を考えるように、この問題はどうやって対処しようかと考えるようになったことで
ああ、なるほど、公式(解法へのアプローチ)には結論を導き出すための力があるんだなとやっと納得するようになりました。
この辺が日本の教育に欠けて社会で必要にされている力だなぁと思ったり。
むしろ問題解決KIDS読んで思ったことじゃないか?と反芻。
あ、面白かったですよ。ただ出会うのが10年遅かったなあと思ってるだけで。

しかし地頭力って変換しづらいなぁ・・・

あと文字ばかりで写真すらないのはどうなのよ?
見づらいよ。
と、脳みその思いつくままにつらつら書いて読者置いてけぼりの私です。
おやすみなさい。

0 件のコメント: