2009年3月5日木曜日

渦中の最中

面談があった。
彼らにしてみれば、私という存在はあってもなくてもいいものらしい。
日本社会において、その組織の歯車として、
一度でも故障したパーツはその役を任せるにはいかにも不安であるらしい。
無論、私としても育ててもらった恩はあるとはいえ、
元の鞘に収まるつもりは毛頭ない。

今週は例大祭があるということで、1週間関東に留まっているところだが
頭を締め付けるような頭痛が絶えず続いている。
やはり、無理なのか。
この地で戦い続けるために足りないものがあるというのか。
現実と未来の狭間でもがき続ける、処世術を持たない愚かな私という存在は
それが故に更なるプレッシャーを自らの中に生み出す。
高みを目指す心と、現実と言う鎖につながれた私の体
その落差が大きければ大きいほどジレンマは深くなる。
今の社会に生きる意味を求めることは難しいことだ。
満たされた世界はいずれ緩やかな、そしてある意味では幸福な衰退を向かえる。
滅びの寸前に気づくのだ。一体、我々が為してきたことはなんだったのか?と。

生きることそれ自体に意味はなく
そこに価値を見出すのは人次第で
心するがいい
人は慢心しやすい生き物だ
人が変えられる状況というものはさして大事ではない。
されど、それが歩みを止めていい理由にはならない。
常に最善を尽くすからこそ、現実が現実足りうるのだ。
崩壊を遅らせる唯一の手段は、自らを革変しつづけること、それのみだ。

そして、今日も苦悩の一日が始まる。

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