2009年3月10日火曜日

補記

質問を受けたのでちょっとだけ補記。
まあ、大前氏みたいにデータとかぜんぜん集めてないんで概要だけ。

キリスト教と一口に言っても宗派は様々で
プロテスタントやカトリックといったメジャーなものから
エホバの証人のようにカルト教団まで多岐に渡る。

そして忘れてはならないのは
日本のように憲法で政教分離を規定している
(実際に政教分離が厳格に行われているかはともかくとして)
ような国家はむしろ稀で
宗教と政治は密接に関連している。
ドイツのキリスト教民主同盟(CDU)のように
政党自体が宗教団体であることさえある。

ゆえに、信者からの集金のみならず、
政治を通して莫大な通貨の流通を行うことは決して珍しいことではない。

ここまでは確かに君の言うとおりで。
宗派、あるいは信仰する神を問わず共通する絶対原則というものが存在する。
それは、一言で言えば
汝己が信ずる神を信ぜよ
ということで、宗教とは人類文明発祥と共に存在し
それ以後普遍的に存在するコミュニティである。

コミュニティが存在するということは
裏を返せばコミュニティという境界を境に内部と外部に分離される。
つまり、宗教にとってもっとも大事なのは信者の信仰心であり
他教の信者は自己のコミュニティを害する敵足りうること
それは歴史が証明している。
(第三次十字軍遠征等。戦争は領土を求めるものばかりではなく、
このように宗教対立を原因とする戦争は幾多も例がある。
そしてそれは原因においてそれぞれの決して交わることのない正義の戦いであり、
経済を目的とする戦争より遥かに悲惨な結果をもたらした。)

ここから言える事は、
神は自らを助く者を助く
ということだ。
つまり、信者は自らが救いを求める神に願い
(そして幾ばくかの心付け「奉納金」を渡し)
自分は救われたいと願い、そしてそのように行動する者
例えば職にあぶれ路上生活を余儀なくされた者への炊き出し等
を助けることがその恩恵なのだ。

故に宗教とはイデオロギーに他ならず
世界全体を良くする、といった漠然とした目的のためには行動しないという性質を持つに至る。
(そもそも何をもって世界が良くなったと言えるのか?例えば経済成長には限りがある。)
要は、目的(利益を上げる)を持つ営利団体-株式会社と同じことだ。
具体的な目標があって初めて教会は人々に救いの手を差し伸べる。

といった具合。
んじゃ改めて横になる。

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